もくじ
山形県の名称は県庁所在都市から。古代郷名に由来する
実は、山形県は3度設置されている。
現在の山形県は3代目になる。
3度の山形県のいずれも、県庁が南村山郡 山形町(山形城下)に置かれたため、県庁が所在する都市名の「山形」を取って山形県と称した。
山形町・山形城下は、現在の山形市中心部にあたる。
山形城は、江戸時代から明治初期の廃藩置県まで、山形藩(大名領)の拠点が置かれた。
その山形城は南北朝時代の1356年に、斯波 兼頼(しば かねより)という武将が築いたとされている。
城の名は、所在地が古代に最上郡(もがみのこおり) 山方郷(やまがた ごう)と称されていたことから名付けられた。
つまり、山形県の県名「山形」の起源は、古代の郷名「山方郷」にあるということだ。
昔の日本は、地名の漢字表記は一定していないことも多く、山方も山形や山県などとも表記されることもあった。
それがいつしか「山形」に表記が落ち着いている。
古代の山方郷は、最上郡中心部から見て「山の奥寄り」の地域なのが由来
山方郷は、現在の山形市中心部から南部、さらに山形市の南隣の上山市(かみのやまし)に至るエリアだったといわれている。
山形城がある場所は、山方郷の北端にあたる。
古くからある地名は、漢字が当て字であることが多い。
ただ郡名や郷名の場合、漢字の「山」は当て字ではなく、漢字そのまま「山」の意味で使われている傾向がある。
そのため、山方の「山」は「山」を意味していると見ていいだろう。
山方郷があった古代最上郡は、おおむね現在の山形市・天童市・上山市と東村山郡 中山町・山辺町の3市2町のエリアにあたる。
最上郡の中心部は最上郷(もがみごう)だとされ、現在の山形市北部から天童市南部にわたる地域と推定されている。
最上郡の中心の最上郷から見て、山の奥寄り、山奥側にあたる地域であることが「山方郷」の地名由来であろう。
この場合、地名表記の「方」も山と同じように当て字ではなく、漢字どおりの「方向」「方角」という意味だと考えられる。
なお、山方郷の地名の由来は諸説ある。
南の上山市も山方郷に由来する地名
なお、上山市の地名由来は山方郷の川上(須川の上流)にあたることから「上の山方」と呼ばれ、それが上山に変化したといわれている。
また他説もある。
中世に山方郷あたりに「大山庄(大山荘)」という荘園があった。
大山荘の川上の地域という意味で「上の大山」と呼ばれ、それが上山に変化したという説もある。
安土桃山時代の太閤検地で最上郡・村山郡は大きく郡域が変化
山形の地名の由来を探っていく中で、何度も登場した最上郡だが、実は古代と近現代ではその範囲が大きく異なる。
もとは、現 山形県の中部から北部一帯が最上郡だった(上古最上郡)。
南から、現在の上山市・山形市・天童市・寒河江市・東根市・村山市・尾花沢市・新庄市などだ。
平安時代前期の仁和2年(886年)に、最上郡の北半分を村山郡として分割する。
おおむね寒河江市・東根市以北が、そのときの村山郡にあたる(古代村上郡)。
天童市以南は、引き続き最上郡である(古代最上郡)。
しかし、時は流れて安土桃山時代の豊臣政権で、豊臣秀吉の太閤検地の結果を受け、大幅に郡が変わる。
古代村上郡の南部と古代最上郡を合わせ、新しい村上郡にした(近世村上郡)。
そして、古代村上郡の中部から北部を、新たに最上郡としたのだ(近世最上郡)。
これによって、最上郡の地名由来だった最上郷だった地域は、村上郡内となってしまい、地名由来がわかりにくくなってしまった。
なお、明治時代中期に近世にできた村上郡は、東村上・西村上・南村上・北村上の4郡に分割されている。
山形県の地名に関する情報
現在の庁舎所在地 | 山形市 |
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地名命名パターン | 都市名由来 |
地名発祥時期 | 不明 (古代にはすでに存在) |
現都道府県の設置時期 | 明治9年(1876年)8月21日 (第三次 山形県として) |
明治維新時のおもな管轄 | 【大名領】 山形藩、米沢藩、米沢新田藩、大泉藩(庄内藩)、松峰藩(出羽松山藩)、天童藩、村山藩 【拠点が現山形県外の大名領】 大網藩(長瀞藩)、佐倉藩、館林藩、土浦藩、館藩(松前藩) 【その他】 旧 江戸幕府直轄地 (天領:尾花沢代官支配所、柴橋代官支配所、寒河江代官支配所) など |
範囲内のおもな旧国 | 出羽国(でわのくに)、羽前国(うぜんのくに) |
庁舎所在地の変遷 |
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参考資料
- 『日本歴史地名体系』(平凡社)
- 『古代地名語源辞典』楠原 佑介ほか (東京堂出版)
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