宮城県の名称は古代から続く郡名に由来
宮城県の名称は、県庁が宮城郡 仙台町に置かれたため、郡名の宮城郡に由来して命名された。
宮城郡 仙台町は現在の仙台市の前身で、仙台城の城下町として栄えたところ。
明治4年7月14日(1871年8月29日)、廃藩置県によって仙台藩は仙台県となる。
これは、藩時代の拠点が宮城郡 仙台であったため、県になっても同様に県庁所在地の都市名である仙台から県名を取ったものである。
しかし、明治5年1月8日(1872年2月16日)に仙台県から宮城県に改称した。
なお宮城郡は古代から陸奥国にある郡名だ。
平安時代前期に作成された全国の国・郡・郷を記載した書物『和名類聚抄 (わみょうるいじゅしょう:和名抄)』にも記載されている歴史ある郡である。
宮城郡は陸奥国の国府である多賀城(たがじょう、たがのき)の設置されたり、陸奥国の総社、陸奥国分寺、陸奥一宮の鹽竈(しおがま)神社などがあるなど、陸奥国の中枢だった。
宮城郡の名称は郡内にある「宮城郷」に由来し、「湿地」を意味する
肝心の宮城郡の地名由来だが、宮城郡内にあった「宮城郷」が郡名の発祥地だ。
宮城郷の由来は、地形に由来する説が有力と考えられる。
『古代地名語源辞典』によれば、宮城の地名は「湿地」という意味だ。
宮城郷は『和名抄』に記載されている宮城郡内の10郷のひとつ。
古い地名の漢字は当て字であることが多いので、この宮城も当て字であろう。
『古代地名語源辞典』では、ミヤギは「ミ+ヤギ(ヤキ)」という構成とある。
「ミ」は美称としての接頭語のミ(御)。
「ヤギ(ヤキ)」は湿地を表す。
さらにヤギを分解すると、「ヤ」が湿地を意味している。
谷(ヤ)に通じ、元は谷間を意味しており、やがて湿地も意味する言葉になったもの。
キは、場所・土地を表す接尾語である。
このことから、宮城郷は湿地を開墾してできた地域と推測される。
なお、宮城郷の推定地は現在の仙台市の宮城野区といわれる。
書物『奥州余目記録』に、「にがたけ」という場所がかつて宮城郷と呼ばれていたとの記述がある。
現在の宮城野区に苦竹(にがたけ)の地名が残っていることから、その周辺一帯がかつて宮城郷であった可能性が高い。
宮城郡の地名由来にはほかにも、屯倉(みやけ)説、多賀城説、鹽竈神社+多賀城の合成説がある。
まず、屯倉説だが、宮城郷は屯倉(みやけ)であり、ミヤケがミヤギに変化したものとうする説だ。
屯倉とは、大化の改新まであったヤマト政権の直轄地のこと。
各地にあり、地名化したものも多く、現在も地名や姓で残っている。
しかし『日本書紀』によれば、屯倉は西日本に多く、東日本でもっとも東にあったのが上毛野(現 群馬県)。
陸奥国に屯倉の記載がない。
日本書紀に記録が残っていないだけで、実際はあったのかもしれないが……
ただ、郷名になるほどの屯倉なら記録に残っていてもいいので、屯倉説はどうもしっくりと来ない。
あと、宮城は多賀城を指しているという説もある。
しかし多賀城は、宮城郡の「多賀郷」にあったから多賀城なのである。
多賀郷とは別に宮城郷があるのだから、多賀城が宮城の地名由来とは考えられない。
最後に、宮城の宮は鹽竈神社、城は多賀城を表すという説がある。
これは当て字であることを考えず、漢字の意味から発生した伝承的なものといえる。
宮城県の地名に関する情報
現在の庁舎所在地 | 仙台市 |
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地名命名パターン | 郡名由来 |
地名発祥時期 | 不明 (古代にすでに存在) |
現都道府県の設置時期 | 明治4年7月14日 (1871年8月29日):仙台県として設置 明治5年1月8日 (1872年2月16日):宮城県に改称 |
明治維新時のおもな管轄 | 仙台藩など |
範囲内のおもな旧国 | 陸奥国(むつのくに)、陸前国(りくぜんのくに) |
庁舎所在地の変遷 |
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参考資料
- 『日本歴史地名体系』(平凡社)
- 『古代地名語源辞典』楠原 佑介ほか(東京堂出版)
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