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【富山県】地名由来は「外山」で「山の外側にある地域」。古くからの郷名

富山県の県名は県庁の置かれた都市名から

富山県の県名は、県庁が置かれた都市名に由来している。

県庁が新川郡(にいかわぐん) 富山町(現 富山市)に置かれたからである。

富山町は、平安時代前期〜室町時代初頭のあいだに開発されたとされる外山郷(とやまごう)に由来している。

戦国時代に富山城が築城され城下町を整備、江戸時代には富山城が富山藩の拠点になり城下町が発展し、のち明治になって城下町が富山町となった。

県域の変遷:一時は現富山県全域が石川県の一部に

明治4年7月の廃藩置県により、旧富山藩を元にして、新川郡富山町を県庁とした富山県(第1次)が新設される。

しかし同年11月に早くも統廃合がおこなわれ、射水郡は能登国域と統合されて新たに七尾県(ななおけん)となる。

残る旧富山県域は、県庁を新川郡富山町から新川郡東部の同郡魚津町に変え、新しく郡名に由来した新川県(にいかわけん)を新設した。

さらに翌明治5年9月に七尾県が廃止され、射水郡が新川県に編入し、ふたたび越中国で1県に。
県庁も新川郡富山町へ変更された。

その後、明治9年(1876年)4月に新川県が石川県へ吸収合併される。
このとき越前7郡も編入したため、石川県は加賀・能登・越中・越前の4国にわたる広域な県となった。

明治14年(1881年)に現在の福井県域が石川県より分離・新設される。

そして明治16年(1883年)5月9日、石川県より現在の富山県域が富山県第2次)として分離・新設、県庁を富山町に置いた。
これが現在の富山県である。

明治22年(1889年)に市制施行し、新川郡富山町は富山市となる。

富山は古い郷名「外山郷」が変化したもの

富山は、もともと「外山(とやま)」と表記されていた。

文献上の初見は室町時代で、応永5年(1398年)5月3日の『吉見詮頼 寄進状』に「越中国外山郷地頭職」とある。

ただし、平安時代前期に編纂された全国の国・郡・郷を記載する『和名類聚抄(わみょう るいじゅしょう、和名抄)』には、外山郷の記載はない。

平安時代前期〜室町時代になるまでのあいだに、新たに開発されて生まれた郷と推測される。

また外山郷は別表記もあり、それが「富山郷」であった。

戦国時代になり、天文12年(1543年)ごろ、神保長職(じんぼう ながとも)が富山城を築城する。

その後、天正8年(1580年年)9月に佐々成政(さっさ なりまさ)が織田信長の命を受けて富山城に入城。
佐々氏によって、本格的に富山城下の町が整備される。

江戸時代には、加賀金沢城を拠点とする金沢藩(加賀藩)主・前田氏の分家の前田氏が富山城を拠点に領地を治め(富山藩)、富山城下は発展した。

戦国時代の富山城築城当時、周辺は藤井村と呼ばれ、富山は藤井村周辺の古地名、または広域地名だったと思われる。

本来ならば藤井城とするのであろうが、縁起の良い字面の「富山」を取って富山城と命名したのだろう。

富山の地名由来は「呉羽山・呉羽丘陵の外側の地域」

富山はもともと「外山」であったと説明したが、その地名は「呉羽丘陵(くれは きゅうりょう)」に関係している。

呉羽丘陵は、現在の富山市街地の西部、神通川西岸にそびえる南西から北東に長い低丘陵地。

丘陵の最北端にある山が呉羽山なので、呉羽丘陵と呼ばれている。

富山平野のほぼ中部に位置し、呉羽丘陵を境にして富山平野は東西に「呉東」「呉西」と分かれる。

呉羽丘陵周辺は、古くから富山平野の中枢的な地域だった。

外山郷(富山郷)が生まれた時期は定かではないが、もっとも古くは平安時代前期となり、新たに開発されて生まれた土地と推測できる。

外山郷の明確な範囲はわからないが、呉羽丘陵北端部=呉羽山の東側にあたる。

つまり当時の重要な地域であった呉羽丘陵(呉羽山)周辺の外縁地帯にあるので「山(=呉羽丘陵または呉羽山)の外側の地域」という意味で外山郷と呼ばれたのだろう。

他説もある

なお富山城近くにあった真言宗の寺院、藤居山(とうきょさん)富山寺(ふせんじ)(現 富山市古鍛冶町)から富山郷の地名が生まれた、あるいは富山城の名前を取ったという説もある。

富山寺は神亀元年(724年)に行基が創建したという古い寺であるが、富山の由来ではなく、逆に富山に由来して富山寺という寺名が生まれたほうが自然だろう。

寺の名前は創建時と変わっている可能性もあり、そもそも創建年代が正しいかどうかも寺伝なので怪しい。

また立山連峰などの山が見えることから「山が豊かな場所」ということで富山と名付けたという説もある。

しかし、もともと富山は「外山」であったことからも、「山が豊かな場所」というのは字面の意味から生まれた俗説だろう。

富山県の地名に関する情報

現在の庁舎所在地 富山市
地名命名パターン 都市名由来
地名発祥時期 平安時代前期〜室町時代初頭
現都道府県の設置時期 明治16年(1883年)5月9日
明治維新時のおもな管轄 【富山県内に拠点があった領地】
越中 富山藩

【富山県外に拠点があった領地】
加賀 金沢藩
範囲内のおもな旧国 越中国(えっちゅうのくに)
庁舎所在地の変遷
新川郡 富山町(現 富山市)
 明治16年(1883年)5月9日〜

参考資料

  • 『日本歴史地名体系』(平凡社)
  • 『古代地名語源辞典』楠原 佑介ほか (東京堂出版)