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【静岡県】明治初期に近くの山「賤機山」にちなんで命名されたのが由来

静岡県の県名は県庁が置かれた都市名から

静岡県の県名は、県庁の置かれた都市名に由来している。

廃藩置県を受け、明治4年11月(1871年)に静岡藩の後継として静岡県(第一次)が成立した。

県庁は安倍郡(あべぐん)静岡(現在の静岡市中心部、駿府城下)に置かれているのが県名の由来である。

その後、明治9年8月21日(1876年)に静岡県・足柄県西部・浜松が統合され、新たな静岡県(第二次=現 静岡県)が誕生した。
県庁は旧静岡県と同じく安倍郡静岡

なお明治22年(1889年)4月に市制・町村制の施行を受けて、静岡は周辺地域と合併し、静岡市(旧)となっている。

「静岡」の地名が誕生した経緯

明治時代になり、明治元年(1868年)に「府藩県三治制」が成立。
江戸時代の大名領を、正式に「」という名称にすることに決めた。

実は「藩」という名称は江戸時代には正式には使われておらず、一部のインテリが使っているのみだった。

現在の静岡市中心部にある駿府城駿河府中城府中城)を拠点とする大名領は、「府中藩」となった。
ただし府中という地名は各地にあるため、城名と同じく「駿河府中藩」や「駿府藩」などとも呼ばれた。

しかし、府中という名称は同名が多数あることと、府中という名称は公的な意味を含んでいることを理由に明治新政府が認めなかったといわれている。
また、ほかに「府中は不忠に通じるため」という理由も明治新政府が認めなかった理由とする説もある。

明治新政府の意向により藩の名称を新たに定めることになり、明治2年(1869年)に「静岡藩」へ改称。
同時に、政庁を置いた町(駿府城下)の名も駿府(府中、駿河府中)から「静岡」に改称された。

なお駿府の地名は、現在駿府城址のすぐ東側にあたる「駿府町」という行政町名として残されている。

「静岡」の地名は賤機山にちなんで誕生

静岡という地名は、駿府城の北西にそびえている「賤機山(しずはたやま)」という山に由来している。

政府からの改称要請により、駿府藩自らが賤機山をヒントに「賤ヶ丘(しずがおか)」の名称を考案。

静岡の町にある静岡学問所の所頭・向山黄村(むこうやま こうそん)が賤ヶ丘から「静岡」に修整提案し、これを採用した。

「賤」よりも「静」のほうが好字であり、「しずおか」のほうが音数が少なく呼びやすいためと思われる。

なお、新藩名・町名案は静岡のほかに「静(しず)」「静城(しずき)」もあった。
いずれも賤機山に由来している。

賤機山の由来は?

静岡の地名由来となった賤機山だが、賤機山自体の由来はなんだろうか。

いつから賤機山と呼ばれているのか不明だが、鎌倉時代に和歌として詠まれているので、少なくとも鎌倉時代には賤機山と呼ばれていた。

実際には鎌倉時代より昔から賤機山と呼ばれていたと思われる。

仮に古代から呼ばれていたとしたら、古い地名の漢字は当て字で、字面どおりの意味ではないことが多い。

そうだとしたら賤機山の「シズハタ」はどういう意味か。

『古代地名語源辞典』によれば、「シズ(シヅ、シツ)」は「落ちる」という意味がある。
のちの時代の漢字で表せば「垂づ」。

また「ハタ」は「はしっこ」という意味で、のちの時代の漢字で表せば「端」である。

つまり「シズハタ山」とは「端が崩れた山」ということになる。

静岡県の地名に関する情報

現在の庁舎所在地 静岡県静岡市
地名命名パターン 都市名由来
地名発祥時期 明治2年(1869年)
現都道府県の設置時期 明治9年8月21日(1876年)
明治維新時のおもな管轄 駿府藩
浜松藩
など
範囲内のおもな旧国 駿河国(するがのくに)、伊豆国(いずのくに)、遠江国(とおとうみのくに)
庁舎所在地の変遷
安倍郡 静岡(現 静岡市)
 明治9年8月21日(1876年)〜

参考資料