もくじ
新潟県の県名は設置時に置かれた県庁のある都市名から
新潟県の県名は、県庁が置かれた都市名に由来している。
県庁が蒲原郡(かんばらぐん) 新潟町(現 新潟市)に置かれたからである。
新潟町は、中世に開かれた港・新潟港の港町として発展した町。
ただし、新潟県という名称になるまで幾度かの変遷があった。
幕末〜明治維新で新潟港開港。新潟裁判所・越後府・新潟府へ
江戸時代末期の安政5年6月(1858年)に日米修好通商条約によって、開港する5港のひとつとして新潟港が決定される。
しかし新潟港は河口にあることから、土砂の堆積によって水深が浅かった。
それよって安政6年10月24日(1867年)に、12月9日の開港予定の延期を決定した。
そして慶応3年11月(1867年)に、江戸幕府が新潟港を正式に開港場と決定。
翌慶応4年3月9日(1868年)を開港日とした。
結局、開港予定日は遅れて、明治元年11月19日(1868年)に正式に新潟港が開港される。
この間、慶応3年10月14日(1867年11月9日)に大政奉還がおこなわれ、明治新政府が樹立されたことによって、新潟港を含む蒲原郡 新潟町は江戸幕府直轄地から明治政府直轄地に移管。
新潟港開港にさきがけて、明治元年4月23日、新潟町に新潟奉行所に変わって新潟裁判所が設置される。
さらに同年5月23日には新潟裁判所に変わり、越後府(えちごふ)が設置された。
7月27日に管轄区域の一部を柏崎県(第1次)として分離。
そして9月21日には、新潟府に改称した。
さらに新潟開港直前の11月7日、新潟府庁が古志郡 長岡町(現 長岡市)に移転している(府の名称はそのまま)。
ふたたび越後府を経て新潟県・水原県へ
明治2年2月8日(1869年)になると、ふたたび越後府(第2次)が設置される(新潟府は廃止されていない)。
府庁は蒲原郡 水原町(すいばらまち、現 阿賀野市)の江戸幕府直轄地時代の旧 水原代官所に置かれた。
さらに2月22日、柏崎県と佐渡県を越後府へ移管。
また同時に新潟府が改編されて、新潟町のみを管轄する新潟県(第1次)に変わる。
新潟町以外の新潟府の管轄地は、越後府へ移管した。
少しややこしいが、新潟町のみが新潟県の管轄で、それ以外の越後国と佐渡国を管轄するのが越後府という形である。
しかし結局、7月27日に越後府と新潟県が統合されて、水原町に庁舎を置く水原県が新設された。
また、佐渡国は佐渡県(第2次、のち相川県)として、旧 柏崎県域は柏崎県(第2次)として再分離されている。
廃藩置県を経て県の再編が繰り返されて現在の新潟県に
明治3年になると、10月22日(1870年)に水原町から新潟町へ水原県庁が移転し、新潟県(第2次)へ改称した。
そして明治4年7月14日(1871年)に廃藩置県がおこなわれて現新潟県内にあった複数の県が再編される。
11月20日、新潟県が周辺の県と統合されて、新たに新潟県(第3次=現行)を設置。
県庁を新潟町へ置いた。
このとき現在の新潟県内には、現行となる第3次新潟県のほか、柏崎県(第3次)と相川県の3県があり、さらに東蒲原郡は福島県の管轄となっていた。
明治6年(1873年)6月10日、柏崎県が新潟県に編入合併。
明治9年(1876年)4月18年には、相川県が新潟県に編入合併した。
そして明治19年(1886年)5月25日に、福島県から東蒲原郡を移管し、現在の新潟県域となっている。
新潟の地名は中世に生まれた港が起源
新潟の地名が初めて登場するのは戦国時代。
永禄11年(1568年)に書かれた、上杉謙信の書状に新潟の名が見える。
新潟は信濃川の河口部の三角州にあり、港町だった。
現在の信濃川河口付近の西岸にたる。
信濃川・阿賀野川の二大河川の河口があるこの一帯には、古代より蒲原(かんばら)、さらに沼垂(ぬったり)という大きな港があった。
それが戦国時代になると新しく新潟の港も栄え、三大港となり反映したのである。
新潟の地は、もとは海側の砂丘地帯にあったという。
そのため「浜村新潟」などと呼ばれていた。
それが河口内側=信濃川西岸に移り「島村新潟」と称するように。
江戸時代になると「新潟浜村」となり、いつしか「新潟湊」や「新潟町」と呼ばれるようになった。
新潟は江戸時代に大いに発展し、橘南谿は『東遊記』で日本一の川湊と称した。
江戸時代、新潟は当初は越後長岡藩の領地だった。
長岡から遠隔地となる重要拠点だったため、藩が新潟奉行を任命し、町内に新潟奉行所を設置して、新潟奉行が支配した。
天保14年(1843年)、新潟は江戸幕府直轄地(天領)となり、長岡藩新潟奉行所は江戸幕府新潟奉行所になる。
なお新潟奉行所は、現在の新潟市中央区役所や旧 新潟三菱の場所にあった。
明治になり初代の新潟県庁舎として使用されたが、明治13年(1880年)に焼失。
なお明治以降、新潟町は周辺と合併していって新潟市となり、さらに平成の大合併を経て政令指定都市になっている。
新潟の地名由来は「潟にできた新しい港」または「新しい潟にできた港」
新潟の地名由来は、信濃川河口の三角州に由来する。
由来は2つの説がある。
- 河口にすでにある潟(かた)の中に新しくつくられた港
- 河口に新しく生まれた潟にできた港
どちらにしても、新潟の場合は中世に生まれた地名なので「新潟」という漢字の字面どおりの意味だ。
なお新潟の地名ができた時期は定かではないが、新潟の港が栄えはじめた戦後時代の少し前と考えられている。
中世に生まれた地名の可能性が高いだろう。
新潟県の地名に関する情報
現在の庁舎所在地 | 新潟市 |
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地名命名パターン | 都市名由来 |
地名発祥時期 | 初見は戦国時代 |
現都道府県の設置時期 | 明治2年9月3日:越後府(第2次)と新潟県(第1次)を合併して水原県を新設 明治3年4月7日:県庁を新潟町へ移転し、水原県を新潟県(第2次)へ改称 明治4年7月14日(1871年8月29日):現 新潟県(第3次)設置 |
明治維新時のおもな管轄 | 【新潟県内に拠点があった領地】 越後 長岡藩 越後 与板藩 越後 三根山藩 越後 高田藩 越後 新発田藩 越後 村上藩 越後 糸魚川藩 越後 村松藩 江戸幕府直轄地(新潟奉行支配所、水原・出雲崎・川浦・脇野の各代官支配所、佐渡相川奉行支配所) ほかに旗本知行所 数ヶ所、寺社朱印地 数ヶ所 【新潟県外に拠点があった領地】 陸奥 若松藩 上野 高崎藩 伊勢 桑名藩 ほか |
範囲内のおもな旧国 | 越後国(えちごのくに)、佐渡国(さどのくに) |
庁舎所在地の変遷 |
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参考資料
- 『日本歴史地名体系』(平凡社)
- 『古代地名語源辞典』楠原 佑介ほか (東京堂出版)
- 古町歴史館 | 新潟ふるまち Official Guide Web 新潟中心商店街(古町・本町・柾谷小路)