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【三重県】県名はかつて県庁が置かれた郡名。古代からある「水辺」を意味する地名

三重県の県名はかつて県庁が置かれていた都市が属した郡名から

三重県の県名は、かつて県庁が置かれていた都市の属していた郡名から取られている。

現在の三重県の県庁所在地は津市だ。

明治4年11月(1871年)に三重県が成立したが、そのときは津市の前身である安濃郡(あのぐん)津城下に県庁が置かれ、県庁のある郡名と都市名を組み合わせた「安濃津県(あのつけん)」と称していた。
なお安濃津は、津の通称として歴史的に使用されていた名称でもある。

しかし明治5年3月(1872年)に、三重郡 四日市町(現 四日市市)に県庁を移転。
郡名から取って「三重県」に改称した。

しかし明治6年(1873年)12月、県庁が安濃郡 津城下に再移転される。

このとき移転に合わせて県名の改称は行われず、現在に至っている。

三重県成立の経緯と変遷

現在の三重県域は、伊勢・志摩・伊賀の各国と紀伊国の一部からなっているが、明治4年7月(1871年)に廃藩置県が実施され、現在の三重県域に県庁を置いた県として、以下の県が成立した。

  • 長島県
  • 桑名県
  • 菰野県(こものけん)
  • 亀山県
  • 神戸県(かんべけん)
  • 津県
  • 久居県(ひさいけん)
  • 度会県(わたらいけん)
  • 鳥羽県

また現 三重県域内に管轄地があるが県庁は三重県域外に置いていた県(飛地)として、以下の県があった。

  • 忍県(おしけん)
  • 吹上県(ふきあげけん)
  • 新宮県
  • 和歌山県

明治4年11月に県の統廃合が行われ、長島・桑名・菰野・亀山・神戸・津の各県と、忍・吹上の両県の各区一部を統合。
安濃郡 津城下に県庁を置いた「安濃津県」が成立した。

いっぽう、久居・鳥羽・度会の各県と和歌山・新宮の両県の各一部を統合。
県庁を度会郡 山田町(現伊勢市)に置いた度会県(第二次)が成立した。

なお当時の三重県域は、現在の三重県域のうち津市中部以北。
第二次 度会県域が、現在の三重県域のうち津市南部(旧 久居市域)以南にあたる。

その後、さきほど説明したように、明治5年3月(1872年)に三重郡 四日市町(現 四日市市)に県庁を移転して「三重県」へ改称。

さらに明治6年(1873年)12月に、県庁を安濃郡 津城下に再移転県名変更は行わず三重県のままとなった。

短期間で津→四日市→津と県庁の移転が続いたのは、当時の参事(現在でいう知事)・丹羽 賢(にわ たかし)が元 名古屋藩士であったことから、元 津藩士との対立があったためでないかと推測されている。

その後明治5年9月に判事が、元 佐賀藩士の岩村定高(いわむら さだたか)に変わると、翌明治6年に県庁が戻った。

津への県庁再移転時に県名を再改称しなかったのは、四日市住民や関係者へ配慮したためと思われる。

明治9年(1876年)4月18日、度会県が三重県に編入合併し、現在の三重県域がほぼ確定した。

三重郡は古代からある郡名で、「水辺」を意味する

三重県の県名の元になった三重郡は、少なくとも古代には存在していた。

古代では、国・郡・郷の行政単位があったが、平安時代前期に編纂された全国の国・郡・郷を記載した『和名類聚抄(わみょう るいじゅしょう、和名抄)』にも伊勢国 三重郡が記載されている。

三重郡の地名の由来としては、『古事記』にある以下の話が有名だ。

ヤマトタケルが、現 四日市市采女(うねめ)にある「杖衝坂(つえつきざか)」に至ったとき「吾が足は三重の勾(まがり)の如くして甚疲れたり(足が三重の勾のように折れ曲がるほどに疲れた」という。
それにちなんで「三重」の地名が生まれた。

しかし、この話は「三重」という漢字に由来した説話の可能性が高いだろう。

古い地名の多くは漢字が導入する前からあるものが多く、漢字は当て字の場合が多い。
そのため漢字の字面どおりの意味ではない可能性が高い
三重の場合も同様と思われる。

古い地名は地形由来のものが多いため、三重郡も地形、つまり郡の中枢部の地形に由来していると考えられる。

三重郡の中枢部は采女郷(うねめごう)だったと考えられており、現在の四日市市の采女地区を含む内部(うつべ)周辺とされている。

『古代地名語源辞典』では「ミエ」は「ミベ」が変化したものであり、「ミベ」は「ミ=水」「ベ=辺」で「水辺」を意味するものと考えられる。

内部地区では内部川が流れ、鈴鹿川と交流している。
しかも鈴鹿川の河口も近い。

そのため三重郡という地名は、郡の中枢だった内部地区が川沿いであり、かつ川の合流点であり、河口が近いという地形を表したものといえよう。

三重県の地名に関する情報

現在の庁舎所在地 津市
地名命名パターン 旧県庁所在地の郡名由来
地名発祥時期 明治5年3月(1872年)
現都道府県の設置時期 明治4年11月(1871年)
明治維新時のおもな管轄 【現 三重県内に拠点を置いた領地】
伊勢 長島藩
伊勢 桑名藩
伊勢 菰野藩
伊勢 亀山藩
伊勢 神戸藩
伊勢 津藩
伊勢 久居藩
伊勢 度会藩
志摩 鳥羽藩
江戸幕府直轄地
旗本知行所
寺社朱印地
など

【現 三重県内外に拠点があった領地】
武蔵 忍藩
下野 吹上藩
紀伊 新宮藩
紀伊 和歌山藩
江戸幕府直轄地
旗本知行所
寺社朱印地
など

範囲内のおもな旧国 伊勢国(いせのくに)、志摩国(しまのくに)、伊賀国(いがのくに)、紀伊国(きいのくに)の一部
庁舎所在地の変遷
安濃郡 津城下(現 津市)
 明治4年11月(1871年)〜
三重郡 四日市町(現 四日市市)
 明治5年3月(1872年)〜
安濃郡 津城下
 明治6年(1873年)12月〜

参考資料

  • 『日本歴史地名体系』(平凡社)
  • 『古代地名語源辞典』楠原 佑介ほか(東京堂出版)
  • 『大日本地名辞書』吉田東伍(冨山房)