都道府県

【福井県】江戸時代初期に縁起をかついで北庄から改称。

福井県の県名は県庁が置かれた都市名から

福井県の県名は、県庁が置かれた都市名に由来している。

県庁が足羽郡(あすわぐん) 福井町(現 福井市)に置かれたからである。

福井町は、江戸時代に福井城の城下町として発展した。

明治22年(1889年)4月、市制・町村制施行により福井町は福井市となっている。

県域の変遷:一時は石川・滋賀両県に分割併合された

明治3年(1870年)に越前国の旧幕府領や旗本領などを管轄する本保県(ほんぽけん)が設置される。
県庁は、丹生郡(にゅうぐん)本保村の本保代官所に置かれた。

翌明治4年(1871年)7月、廃藩置県により現 福井県域に以下の県が設置される。

  • 福井県第一次):県庁は足羽郡 福井町
  • 丸岡県:県庁は坂井郡 丸岡町
  • 勝山県:県庁は大野郡 勝山町
  • 大野県:県庁は大野郡 大野町
  • 鯖江県:県庁は今立郡 鯖江町
  • 小浜県:県庁は遠敷郡(おにゅうぐん) 小浜町

しかし同年11月に早くも再編がおこなわれる。

本保・福井・丸岡・勝山・大野の5県が統合されて、足羽郡 福井町に県庁を置く新たな福井県第二次)を設置。
さらに小浜・鯖江の2県を統合し、敦賀郡 敦賀町の旧 敦賀奉行所に県庁を置く敦賀県を新設した。

しかし翌月12月には、福井県が県庁所在地の郡名を取って「足羽県(あすわけん)」に改称。

明治6年(1873年)1月には、足羽県が敦賀県に編入合併され、敦賀県が現在の福井県域とほぼ同じ県域となった。

だが今度は、明治9年(1876年)8月に敦賀県が東西に分割され、嶺北七郡は石川県に、嶺南四郡は滋賀県にそれぞれ編入される。

そして明治14年(1881年)2月、元の嶺南・苓北地方が石川・滋賀両県より分離、ふたたび統合され、足羽郡 福井町に県庁を置く福井県第三次)が新設された。
これが現在の福井県である。

なお昭和33年(1958年)に、大野郡石徹白(いとしろ)村の三面(さつら)・小谷堂(こたんどう)地区を除くエリアが、岐阜県郡上郡(ぐじょうぐん)白鳥(しろとり)町に越県編入合併している(現在は郡上市)。

福井の地名は江戸時代初期に北庄城から福井城に改称したことが起源

福井城がある一帯は、もともと北庄(きたのしょう、北ノ庄とも)と呼ばれていた。

いつごろから北庄の地名が生まれたのかは定かではないが、文献上の初見は室町時代前期。

延文2年(1357年)12月2日付の『朝倉遠江守高景宛足利尊氏下』に「可令早領知越前国足羽北庄預所職之事」とある。

安土桃山時代になると、天正3年(1675年)に柴田勝家北庄城を築城。
城下町も整備した。

しかし天正11年(1583年)の賤ヶ岳の戦いで羽柴秀吉(豊臣秀吉)に柴田勝家が敗れ、北庄城に退くも羽柴軍に包囲され、勝家は城に火を放って妻・お市の方とともに自害する。

その後、丹波氏・堀氏・青木氏と城主が変遷。

江戸時代になり、関ヶ原合戦後の慶長5年(1600年)に徳川家康の次男・結城秀康(のちの松平秀康)が新たに北庄城を築城し、城主になる。
北庄城を拠点にして領地を支配した(越前北庄藩)。

寛永元年(1624年)、三代藩主・松平忠昌(まつだいら ただまさ)は北庄城の名称を「福居城(ふくいじょう)」に改称。

その後「福井城」の名称も用いられるようになり、江戸時代中期の元禄期ごろからは福井城の名前が基本になった。

なお城下町の名前も城名にあわせて、北庄城下→福居城下→福井城下と変遷している。

明治になり福居城下は足羽郡福井町となり、現在の福井市街地の礎となった。

「福居(福井)」は縁起をかついで命名された

松平忠昌が北庄城から福居城に改称した理由は「北庄の北の字は”敗北”を連想させて縁起が悪い」ということとされている。

そして、縁起をかついで「福があるように」というい意味で「福居」としたといわれる。

なお北庄城内に「福の井」と呼ばれる井戸があり、そこから取って福居としたという説もある。

福の井から着想を得て「福がある」という意味の福居を思いついた可能性はあるかも知れない。

このほか、現 福井市内にある足羽神社(あすわ じんじゃ)が祭る五徳の神の一柱「福井神(さくいのかみ)」に由来するという説もある。

補足:北庄の由来

福井の旧称である北庄の由来について、軽く紹介。

北庄はもとは「足羽北庄(あすわ きたのしょう)」という荘園(庄園)だった。
それが略されて北庄となり、地名として定着したと思われる。

文献上の初見は、室町時代初期。
延文2年(1357年)12月2日付の朝倉遠江守高景宛 足利尊氏下文に「可令早領知越前国足羽北庄預所職之事」とある。

もともと福井城下・現 福井市中心部周辺は、古代に足羽郷(あすわごう)と呼ばれていた。

足羽郷の北部にある荘園なので、足羽北庄と呼ばれたと推測される。

福井県の地名に関する情報

現在の庁舎所在地 福井市
地名命名パターン 都市名由来
地名発祥時期 江戸時代初期
現都道府県の設置時期 明治14年(1881年)2月(第三次 福井県)
明治維新時のおもな管轄 【福井県内に拠点があった領地】
越前 福井藩
越前 丸岡藩
越前 勝山藩
越前 大野藩
越前 鯖江藩
若狭 小浜藩
江戸幕府直轄地
旗本領
など
範囲内のおもな旧国 越前国(えちぜんのくに)、若狭国(わかさのくに)
庁舎所在地の変遷
足羽郡 福井町(現 福井市)
 明治14年(1881年)2月〜

参考資料

  • 『日本歴史地名体系』(平凡社)
  • 『古代地名語源辞典』楠原 佑介ほか(東京堂出版)
  • 『大日本地名辞書』吉田東伍(冨山房)