愛知県の県名は県庁が置かれた都市の郡名から
愛知県の県名は、県庁が置かれていた都市が属する郡名から取られている。
現在、愛知県の県庁所在地は名古屋市。
名古屋市の前身である愛知郡 名古屋城下の郡名「愛知」から県名が取られている。
愛知県成立の経緯と変遷:名古屋県から愛知県に改称
明治4年7月(1871年)、明治政府の廃藩置県の実施により尾張国には第一次 名古屋県(県庁:愛知郡 名古屋城下)と犬山県(県庁:丹生郡 犬山城下)が成立。
いっぽう三河国には以下の10県が成立。
- 豊橋県
- 半原県(はんばらけん)
- 重原県(しげはらけん)
- 西尾県
- 岡崎県
- 刈谷県
- 西端県(にしばたけん)
- 挙母県(ころもけん)
- 田原県(たはらけん)
- 西大平県(にしおおひらけん)
また、信濃国と一部と三河国の一部を管轄する伊那県(いなけん)も成立。
しかし同年11月15日、三河国域に県庁を置く10県が統合されて、新たに額田県(県庁:額田郡 岡崎城下)が設置された。
なお、このときに名古屋県の管轄域から尾張国知多郡が、額田県に移管されている。
同月20日には、伊那県の管轄域のうち三河国域が額田県に移管される。
また同年同月27日には名古屋県と犬山県が統合されて第二次 名古屋県(県庁:愛知郡 名古屋城下)が成立した。
翌明治5年4月2日(1872年)には、第二次名古屋県が愛知県に改称される。
県庁所在都市名の名古屋に由来した県名から、県庁所在郡名の愛知郡に由来した県名に変わった。
同年11月27日、額田県を愛知県に編入(平凡社『日本歴史地名体系 愛知県の地名』では、愛知県・額田県が新設合併して、新たな愛知県を設置したとしている)。
これにより、現在の愛知県とほぼ同じ範囲となっている。
愛知郡は古代からある郡名で、崖地・崩落地形を意味する地名
愛知郡は古代からある郡である。
郡域は現在の名古屋・豊明市の両市域の大部分とその周辺にあたる。
ただし中世後期以降は郡域が大きく変遷している。
愛知郡の地名由来だが、古くからの地名は漢字が導入されるずっと前からあるものも多く、地名の漢字は当て字で、字面どおりの意味でないことが多い。
平安時代前期に編纂された全国の地名を記載した書物『和名類聚抄(わみょう るいじゅしょう、和名抄)』では、愛知郡は「愛智郡」の字が当ててある。
また古代では「アイチ」という読み方のほかに「アユチ」という読みもあり、「鮎市」や「年魚市」などの漢字が当てられていた。
『古代地名語源辞典』では「アイチ」の「アイ」、また「アユチ」の「アユ」は「アエ」が変化したもので、「アエ」は「落ちる」という意味があるという。
「チ」は土地や地域、地面などを表す。
漢字の「地」に当たる言葉だ。
つまり「アイチ」「アユチ」とは崖地などの崩落地形を表すとされる。
愛智郡(愛知郡)は現在の熱田神宮周辺に郡の中枢があったと考えられている。
日本書紀には、熱田神宮周辺は吾湯市(アユチ)と呼ばれていたとされており、中枢部の名前から郡名が取られていると推測される。
熱田神宮とその周辺は低丘陵地帯となっており、アイチ・アユチの地名は熱田神宮周辺の低丘陵となっている地形を指しているのだろう。
ちなみに近江国(滋賀県)にも愛智郡(愛知郡)があったが、こちらは「エチ」と読む。
「アイチ」の読みが変化した可能性がある。
愛知県の地名に関する情報
現在の庁舎所在地 | 名古屋市 |
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地名命名パターン | 郡名由来 |
地名発祥時期 | 古代以前 |
現都道府県の設置時期 | 明治5年4月2日(1872年) ※明治5年11月27日(1872年)とも |
明治維新時のおもな管轄 | 尾張名古屋藩 尾張犬山藩 三河吉田藩 三河半原藩 三河重原藩 三河西尾藩 三河岡崎藩 三河刈谷藩 三河西端藩 三河挙母藩 三河田原藩 三河西大平藩 江戸幕府直轄地 |
範囲内のおもな旧国 | 尾張国(おわりのくに)、三河国(みかわのくに) |
庁舎所在地の変遷 |
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参考資料
- 『日本歴史地名体系』(平凡社)
- 『古代地名語源辞典』楠原 佑介ほか(東京堂出版)
- 『大日本地名辞書』吉田東伍(冨山房)