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【栃木県】地名由来は設置時の県庁所在都市名。もとは河川の氾濫原を表す地名か

栃木県の地名は設置時の県庁所在都市名に由来。県庁移転後も県名は変えず

栃木県は、過去に2度設置されており、現在の栃木県は第2次 栃木県である。

栃木県の県名は、県設置時の県庁が所在している都市名=都賀郡(つがぐん) 栃木町(現 栃木市)から採用されている。

現在の栃木県の県庁所在地は宇都宮市である。
第2次栃木県は、第1次栃木県と第2次に宇都宮県が合併して誕生したものだ。

両県とも県庁所在都市名に由来しており、第2次栃木県が設置されたとき、県庁が都賀郡 栃木町へ置かれたため、県庁所在都市名の栃木から、栃木県となった

約11年後、県庁が栃木町から河内郡(かわちぐん) 宇都宮町(現 宇都宮市)へ移転した。
このとき、県庁移転はしたが県名の変更はおこなわれなかったため、設置時の栃木県の名が現在まで続いている。

なお、栃木は江戸時代に日光例幣使街道(にっこう れいへいし かいどう)沿いの宿場町として繁栄。
巴波川(うずまがわ)の水運を使った栃木河岸(とちぎがし)が栄え、一帯の商業の中心地だった。
支配は、江戸時代前期は点々としたが、中期以降は明治維新まで足利大名領(足利藩)。

いっぽう宇都宮は、宇都宮大名領(宇都宮藩)の拠点である宇都宮城の城下町だった。

栃木の地名は室町時代が初見

栃木県の地名由来となる栃木だが、初めて栃木の名前が記録されているのは室町時代である。

応永元年(1394年)、周辺を治めていた皆川秀光(みながわ ひでみつ)が栃木城を築城したというもの。

その後、戦国時代に徳川家康の朱印状に栃木の地名が見える。
もともとは栃木城がある地域を指す地名だったようだ。

現在の栃木市の中心部にあたる。

なお、栃木城は戦国時代ごろまでに城下町が整備されていたが、江戸時代初期に廃城になる。
以降、城下町は街道の宿場町として栄えた。

明治になってからは、明治4年に足利藩領から明治新政府直轄の日光県の管轄となり、栃木町内に栃木出庁所が設置される。
しかし、同じ明治4年7月に廃藩置県が実施されて、栃木町に県庁を置いた栃木県(第1次)が設置された。

なお栃木城は現在も城跡が残り、史跡公園として整備されている。

栃木の地名由来は諸説あるが、河川の氾濫原に由来する地形説が有力

中世以降、商業や行政の中心だった栃木だが、気になるのは地名の起源だろう。

栃木の地名由来は記録が残っておらず、諸説ある
古代からある地名であれば、地形由来などが考えられるが、栃木は室町時代が初見なので、必ずしも地形由来とも限らないのが難しいところ。

栃木県の公式サイトには、以下の4説が紹介されていた。

  • 「十千木」説
  • 「トチの木」説
  • 氾濫地形説
  • 「遠つ木国」説

十千木」説は伝承に過ぎない

十千木(とおちぎ)」説は、栃木にある神明宮の社殿の千木(ちぎ)が、遠くから見ると10本あるように見えたことに由来するもの。

千木は、神社の屋根にあるX型の飾りのこと。

地名の発祥としては怪しく、そもそも室町時代に神明宮がそこまで大きな神社であったかも疑問。

「十千木」説は伝承に過ぎないだろう。

「トチの木」説は植物地名と植物は無関係の可能性が高い

トチの木」説は、栃木の名前のとおり植物のトチの木が生えていた土地を開発して生まれた地域だという説。

古い地名は当て字の可能性があるが、栃木の初見が室町時代ということで、当て字ではない可能性もある。

しかし、記録に残るのが室町時代というだけで、それより古いかもしれない。
また植物系の地名は、漢字は当て字で植物と関係ない例も多い。

そのためトチの木とは栃木の地名は無関係だろう。

氾濫地形説は現地の地形と合致し信憑性が高い

氾濫地形説は、栃木の周辺の地形に由来するというもの。

栃木周辺は、巴波川などが流れる氾濫原(はんらんげん)に位置する。

過去に幾度も河川が氾濫したことから、その地形を「ちぎる」と表現。
それに土地や場所を意味する接頭語の「」をつけて「トチギ」となり、栃木の漢字を当てたのが由来とする説だ。

4説の中ではもっとも信憑性が高く実際の地形とも合致する。

なお、栃木県の公式サイトでは崩落地形説としてあったが、内容は崩落地形ではないので、当サイトでは「氾濫地形説」にしている。

「遠つ木国」説は根拠となる時代が古いわりに記録がない点で不信

遠つ木国」説は、『古事記』に登場する豊城入彦命(とよきいりびこのみこと)に由来する説。

毛野国(けのくに)は元は木国(きのくに)という名前だったとし、現在の和歌山県から三重県南部にあたる木国(きのくに、紀伊国)と区別するため、豊城入彦命が畿内から遠くはなれた木国という意味で「遠つ木国(とおつきのくに)」と呼んだという説だ。

それが「トチギ」に変化し、栃木の漢字を当てたというもの。

そもそも毛野国は現在の群馬県全域から栃木県全域にわたる、広大な地域である。
そのなかのほんの一部である栃木の地に名前が残っている点が、不信。
栃木が毛野という地名の発祥地ならわかるが、それならもっと古い記録が残っているはず。

栃木の地名由来は地形由来が有力

栃木県庁の公式サイトに紹介されていた4説では、地形由来がもっとも実状にあっており、一番有力だろう。

栃木県が生まれた経緯

明治4年7月14日(1871年8月29日)、廃藩置県によって現 栃木県域に以下10県の県庁が設置される。

  • 日光県 (第2次)
  • 壬生県 (みぶけん)
  • 吹上県 (ふきあげけん)
  • 佐野県
  • 足利県 (あしかがけん)
  • 宇都宮県 (第1次)
  • 烏山県
  • 黒羽県 (くろばねけん)
  • 大田原県
  • 茂木県 (もてぎけん)

また、上記10県のほか、現 栃木県域外に県庁を置く県の管轄の地域もあった。
合わせると、現 栃木県域には30県の管轄地が存在していた。

約4ヶ月後の明治4年11月13日(1871年12月24日)、早くも統合がおこなわれ、現 栃木県域は、以下の2県に集約される。

県名県庁所在地範囲
宇都宮県 (第2次)河内郡 宇都宮城下現 栃木県の中〜北部
栃木県 (第1次)都賀郡 栃木町現 栃木県の南部
現 群馬県の東南部

宇都宮県は、河内郡(かわちぐん) 宇都宮城下(現 宇都宮市中心部)に県庁を置いたため、また栃木県は都賀郡(つがぐん) 栃木町(現 栃木市中心部)に県庁を置いたため、県庁が所在する都市名から命名されたものだ。

しかし、明治6年(1873年)6月15日、宇都宮・栃木の両県が合併し、新しい栃木県(第2次)が誕生。
県庁が栃木町に置かれた。
そのため県名も、県庁所在都市名由来で栃木県となったのだ。

明治9年(1876年)8月、上野国となる邑楽(おうら)・新田(にった)・山田の3郡が群馬県に移管され、現在の栃木県の範囲が確定

そして、明治17年(1884年)に県庁が栃木から宇都宮に移転した。
県庁移転後も、現在まで県名は栃木県のままとなっている。

県庁の移転理由は定かではないが、県名を変更しなかったのは、第2次栃木県が発足して10年以上が経過しており、県名改称による住民への負担を考慮したためと思われる。

栃木県の地名に関する情報

現在の庁舎所在地 宇都宮市
地名命名パターン 都市名由来
地名発祥時期 不明 (少なくとも室町時代の応永元年(1394年)には存在)
現都道府県の設置時期 明治6年(1873年)6月15日
明治維新時のおもな管轄 宇都宮藩、足利藩、旧 江戸幕府直轄地、旗本領など
範囲内のおもな旧国 下野国(しもつけのくに)
庁舎所在地の変遷
都賀郡 栃木町 (現 栃木市)
明治6年(1873年)6月15日〜
河内郡 宇都宮町 (現 宇都宮市)
明治17年(1884年)〜

参考資料

  • 『日本歴史地名体系』(平凡社)
  • 『古代地名語源辞典』楠原 佑介ほか (東京堂出版)
  • デジタル標高地形図「関東」|国土交通省 国土地理院
  • 栃木県庁 公式サイト